【第13号】1. 日本発運賃の歴史と変遷(その5)IATA外の協定運賃

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現代でこそ、航空運賃は多様で、同じ日に同じ目的地に向かうのでも、全く異なる運賃から選べるようになっていますが、かつてはどの会社を利用しても同じ金額、という時代がありました。今回は、その辺の経緯のお話です。

アメリカの運賃政策

前回は1964年の海外渡航自由化から、1969年のバルク運賃導入までの歴史を振り返りました。この頃、国際路線の相手国であるアメリカで、運賃を低額化させようという動きが強まります。
まずは1963年、時の大統領はジョン・F・ケネディ(同年11月に暗殺され、副大統領だったリンドン・ジョンソンが後任に就いています。ジョンソンは69年まで大統領を務めました)。政府の手厚い補助金などによって支えられながら、ようやく収支を黒字に持っていくところまで辿り着いた航空業界に対し、アメリカ運輸委員会は、とにかく「運賃は安くあるべき」という態度で臨み、IATA会議は大紛糾。アメリカとヨーロッパを結ぶ北大西洋路線については、あと一歩で運賃に関する国際協定がなくなってしまうところまで追い込まれました。本来、民間航空会社の集まりであるIATAの決議に対して、各国政府は「民間航空は民間の手に委ねられるべき」という考えで、ほとんど干渉することはありませんでしたが、アメリカ(とカナダ)は、運賃を引き下げることにより自国の航空会社の利益を伸ばすことを意図してか、積極的に介入していったわけです。

さて、日本が関わる太平洋路線がどうだったかと言うと、実は1963年に既にIATA協定運賃が成立せず、以降68年1月に実施されるまで、長らくIATA不在の運賃制度が続いていました。1961年秋に暫定的に関係各社で合意された運賃が引き続き使われていたそうで、その間にIATA協定運賃が引き下げられていった北大西洋路線では観光客が増加していたのに対し、「このままでは、太平洋路線の旅客が減ってしまう」という懸念が出てきました。
それを受けて、1966年に登場したのが、各社間の協定運賃と言う、今なら独占禁止法違反で大変なことになりそうな運賃制度です(そもそも、IATA運賃自体が一種のカルテルではありましたが)。

太平洋線協定運賃について

1966年のIATA会議でも、やはり太平洋路線の運賃制度について、関係各社は合意に至りませんでした。そうかと言って、古くて高い運賃を維持していても、需要が衰退してしまう。
合意できない主たる原因はアメリカにあるわけですから、米系以外の日本発着太平洋路線を運航している4つの航空会社が、関係各国の了承の下、IATA外で会議の場を持ち、協定運賃に合意しました。米系2社もそれに追従し、ようやく新しい運賃制度が導入されたことになります。
この新運賃は、業務渡航の個人客向けではなく、北大西洋路線に倣って、団体旅客に安価な運賃を供給することで、観光需要を創出することを目指しました。よって、大口団体向けの運賃が生まれています。
一例として、東京からサンフランシスコまでのエコノミークラスの運賃額をご紹介しましょう。以下、1966年から有効の協定運賃です。

個人運賃 212,050円
団体運賃(25人以上) 158,400円
団体運賃(70人以上) 144,000円

参考までに、1965年度の国家公務員大卒初任給は19,610円でした(前回も使った指標)。2019年が186,700円ですから、約9.5倍と考えて、個人運賃は200万円強、70名集まると団体割引で140万円を切るくらい。
連載第2回で、今年4月の日本航空のサンフランシスコ行き運賃を調べましたが、いくらだったかご記憶でしょうか? 一番安いクラスの平日運賃が142,000円でした。要するに、アメリカから「下げろ」と言われ、北大西洋を見ながら焦って値下げした結果の団体運賃が、今の10倍くらいまで下がってきた、というわけです。
やっぱり高いのは確かですが、これでも500万円していた時代よりは、だいぶ下がってきましたね。

その後のこと

1970年代に下りまして、IATAは相変わらず、経費の増大を理由にIATA協定運賃の値上げを繰り返していましたが、1975年から翌76年にかけて、アメリカ政府が太平洋路線の値上げを認可しませんでした。発着の両国で認可されることが前提の国際航空運賃ですから、日本政府も認可せず(他の地域への運賃は全て認可)、太平洋路線は再び無協定状態に陥ります。
その中で、アメリカの航空会社が独自に割引運賃を発売するなど、アメリカ絡みの運賃の推移は、依然として難しい駆け引きが続きました。
ただ、1970年代に始まった強烈な円高の影響で、日本発とアメリカ発で運賃額に乖離が出始め、更なる調整が必要となってくるのですが、それはまた次回。

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