【第44号】3. 運賃規則の雑学知識(その8)

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【第36号】4. 運賃規則の雑学知識(その1)
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【第43号】2. 運賃規則の雑学知識(その7)

 

 

 海外旅行に行く人が少しずつ増えてきたとは言え、人気なのは定番のハワイ(コロナ前は毎年行っていた、という方が多いのでしょうか)や、近場の韓国、シンガポールあたりと思われ、ヨーロッパなど遠方に行った人の話は聞きません。皆様のまわりでは、「久しぶりにロンドン!」という方、いらっしゃるでしょうか。

 

 さて、ニュースレター第1号の旅行記に書いたような気がしますが、ぼくがヨーロッパに行くときは南回りばかり使っています。なんせ安いので。金曜の仕事を終え、夜中の便で出発し、途中で乗り継いで土曜のお昼か午後早めの時間に現地に着けますから、そんなに悪いものでもありません。

 欠点としては、時間がかかることでしょうか。ただ、かつては航空機の性能の関係で航続距離に制限があり、冷戦下ではソ連上空を飛びにくかった事情も手伝って、南回り(やアンカレッジ経由)は、今よりも当たり前の選択肢だったかもしれません。

 そんな時代を知っている人と、最近の人とでは、「南回り」と言ったときのイメージが違うぞ、ということに気付きまして、歴史を振り返りながら、「南回りの経由地と言えば?」というのを調べてみましたので、ご紹介します。

※ この記事に合わせて調査したのではなく、以前から話を聞いていた内容を集計しているため、既に最新の状況とは変わっているかもしれない点、ご了承ください。

 

 

 

そもそも南回りと言えば

 OFCでは以前、『国際航空運賃WEB講座』というオンラインで運賃規則を学べる講座をご提供していました。

 その企画・作成・更新の中で、だいぶベテランのJAL OBとお話すると、元祖南回りとでも言うべきルートがよく出てきたのを思い出します。

 

 大体、羽田(成田がなかった時代)を出発し、香港やマニラ、バンコクなど東南アジアの都市をひとつかふたつ。それからインドに向かってデリー、あるいはパキスタンのカラチ。更に中東でカイロかベイルートに寄ってから、ようやくヨーロッパ入り。

 ところがすぐにロンドン着とはならず、まずはローマ、次にもうひとつパリかフランクフルトあたりを挟んで、ようやくロンドン着でしょうか。

 さすがにこのルートで旅をしたことがあると言う人はいませんでしたが、いやいやびっくりしますね、このルート。今、これを辿ろうとすると、いろいろな航空会社を乗り継がなきゃいけなくて、逆に直行便より高くなります。

 

 バンコクと言えば「空の十字路」。ヨーロッパとアジアを結ぶ路線や、オセアニアに向かう便、あるいは広いアジア内でもインド方面への乗り換え基地でもありまして、ドンムアン空港は大変賑わっていたと聞いたことがあります。

 そう言えば、だいぶ時代は下りますが、旅行会社で働いていた頃、エチオピアに行くツアーはバンコク乗り継ぎでした(当時はエチオピア航空が日本に飛んでいなかったため)。アフリカ方面も、バンコク経由だったんだなぁ。

 最近はどうでしょう。タイ国際航空でヨーロッパに行ったという話は聞きません。航空券を売っているのは知っているのですが。

 

 

 

格安航空券の時代になると

 名著『深夜特急』には、海外発の安い航空券を求めて日本を飛び出すくだりがありますが、航空券が安い会社はアジアに集中していました。

 というわけで、格安航空券の時代に多く旅行をしたベテランの皆様は、バンコク以外の南回りルートを思い起こされるのではないでしょうか。

 

 ぼくが学生の頃にはある種の伝説と化していたのがビーマン・バングラデシュ航空。週1便だかしか日本まで足を延ばさないので不便だとか、機内食が3種類全部カレーで違いがよくわからなかったとか、それはそれで面白エピソードをよく聞いたものです。

 ちなみにその頃、ヨーロッパ直行便より常に安かったのはキャセイパシフィック航空の香港乗り継ぎ。「帰りに香港も観光できます!」と言って、HISあたりで大々的に売り出されているのを、ちょっと真面目に検討した記憶があります(結果、なぜかエールフランスが叩き売りになっているのを見つけてしまい、香港に立ち寄り損ね)。

 

 言い方は悪いですが、若い人はお金がないですから、所要時間よりも安さ。ときに安全面でもいかがなものかと思うような会社もあったりして、この世代の方々の南回りのイメージは多様でしょう。

 

 

 

中東の時代へ

 さて、ぐっと最近に移ります。

 エミレーツ航空が日本に就航したのは2002年。当時は東京には来なくて、関空への乗り入れでした。ぼくは2008年くらいにケニアに行く際、関空集合でエミレーツに初めて乗りましたが、アフリカへの中継地点がバンコクからドバイに移り変わる時期ってことですね。

 エミレーツは、ロンドンからシドニーを結ぶ、どうやっても直行にできない路線のちょうど中間地点でもあり、全世界のあらゆるところに程よく近くて程よく遠い立地から、乗り継ぎ需要で急拡大した航空会社。地図を見ていただければ、まさに南回りの中の南回りということがわかるでしょう。

 

 過去の資料を見ると、元祖南回りでドバイに寄港する路線はあまり見つからず、曰く「ドバイなんて砂漠しかないところ」だったそうです。そこにあんな都市ができるなんてびっくりです。

 

 続いて2005年にカタール航空が関空就航。遅れてアブダビのエティハド航空が日本に来たのは2010年だったでしょうか。これで「南回りと言えば中東経由」の完成です。

 たぶん、コロナ前にヨーロッパをよく旅行されていた方なら、このうちのどれかには乗ったことあるんじゃないでしょうか。ちなみにぼくは全部乗ってます(直行便にするお金がなかったとも言う)。

 

 

 

南回りの再発見

 この南回り、過去の歴史のどこを見ても、とりあえず時間がかかります。それがなぜ今まで重宝されてきたのかと言うと、北回りや直行便よりも安かったから。

 

 ところが、2022年になると、突然南回りが主役になりました。

 原因はロシアのウクライナ侵攻。これでロシアやウクライナ上空を飛びにくくなったことにより、紛争地域を避けて南側を迂回するルートが復活。思わぬところで懐かしの南回りが注目されてしまったわけです。

 

 ただ、「直行便よりも時間のかかる南回りルート」なんて言い方をされることもあり、ちょっとかわいそう。歴史も味もある、いい道なんですけどねぇ。

 個人的には、中東の航空会社でヨーロッパに向かう際、乗り継ぎ地点からの便で必ずおいしいカレーが出るのが好きです。機内食ってどうしても飽きるので、スパイシーなものだと気分が変わりますね。

 

 大学での講義を依頼された際など、南回りの例をスライドで紹介することがあるのですが、「何回も乗り継いで」と言うと歴史の先生みたい。「バンコク経由で」と言うとちょっと古い人。「ドバイで乗り継ぐと」なら今風、ですかね。皆さんの周りの方の「南回りと言えば?」のイメージはどれでしょう。

 

 

 

 それではまた。

 

この記事を書いた人:

関本(編集長)

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