【第21号】2. 日本発運賃の歴史と変遷(その13)格安航空券という世界

 これまで12回に渡り、日本航空が戦後最初の国際線を運航して以来、OFCが創業されるくらいまでの国際航空運賃の変遷を見てきました。

 これまでの記事を通じて、航空運賃はIATAが主導して決定していたのだということが、おわかりいただけたと思います。IATA協定外であっても、各航空会社が個別に協定を結び、また各国政府認可に支えられて、運賃額は高値安定に近い状況にあったわけです。

 ただ、時代の移り変わりとともに、比較的安い運賃を手にすることができるようになったのが80年代。今回は、その状況を見ていきます。

 

 

航空会社が設定していた運賃の種類

 さて、1980年代まで(建前では2018年まで)、航空会社が販売する運賃の基準となるのは、最も高額な「普通運賃」でした。物価との比較で考えると、とにかく高かったというのは、これまで何度か触れています。

 それではなかなか海外旅行需要が生まれないということで、「特別運賃」という割安な運賃も設定された、というのが前回のテーマ。ただ、これも今のように安かったわけではありません。今日では、GDSを調べると、普通運賃の何分の一という大変低価格な特別運賃を航空会社から直接購入することができるのがわかりますが、その環境が整ったのは、わりと最近のこと。

 

 1980年代、日本円が強くなり、円高が進むと、日本発と現地発運賃の実勢価格に相当な差が出てきました。外国から日本に来る人の方が、同じ便に乗るのに安く済んでしまうという現象が現れたわけです。

 だからと言って、日本の航空会社(ANAが国際線の定期便を就航させたのは1986年のことですから、要するにJALを指しています)は簡単に運賃額を下げませんでした。なにせ、IATAと運輸省(当時)の指導によって決定している運賃ですから、自社の思いつきで引き下げて「もっと乗ってください」というわけでにもいかず、また、そうする理由もありませんでした。

 外国航空会社を使えば運賃額が安くなるかと言うと、IATA主導では横並びが基本で、あとは航空会社ごとの経路やサービスの違いによる差は多少あったものの、「冬場のヨーロッパ行きは乗る人が少ないから、ちょっと値引きして集客頑張ろう」という程度。

 沢木耕太郎の『深夜特急』が刊行されたのが1986年。あの本を読んだことがある方なら、日本から海外にいかに安く行くか、当時の人がいろいろ知恵を絞っていたのをイメージできるでしょうか。最初から日本航空のカウンターに行って「デリー行き1枚ください」と言うと、とても買えないようなものが出てくるので、工夫が必要だった、ということですね。

 

IT運賃ばら売りという手法

『深夜特急』は当時の個人旅行の極みのような存在でしたが、一般の人が海外を観光するのに、あそこまで時間の余裕を確保して、行き当たりばったりでふらふらするわけにはいきません。多くの人はパッケージツアーに申し込んで、団体行動をしていました。

 その団体販売用に、航空会社から旅行会社へ提供されていたのが「IT運賃」。この話も前回しました。航空券単体ではなく、方面別に地上手配(主に宿泊)を含めて、最低販売金額が設定されているものです。

 

※ 厳密には、IT運賃には「個人用」と「団体用」がありましたが、どちらもパッケージツアーの枠組みで使ってもらうのが前提だという点では、同じです。

 

 ただ、その中間を取りたい旅行者だっています。つまり、いろんなところを探し回って、怪しげな片道航空券を手に入れて放浪するほどではないけど、団体旅行で全部旅行会社が手配したところだけを繋ぐのはつまらない、という個人旅行派。

 まともに航空券を買おうとすると、希望の条件を満たす特別運賃は予算オーバー。旅行会社だって商売ですから航空券を売りたいですし、どうにかならんかなぁ、と考えます。そこで生まれたのが、IT券のばら売りという手法でした。

 

 本来であれば、同一の行程で旅をするグループの人数をある程度まとめないと、団体用IT運賃などの安価な航空券は販売できないはずですが、これを単体で、個人旅行者に、仕入れ価格+若干の利益で販売してしまう(タリフ上の「最低販売価格」は無視して)。これがけっこう安くなりますから、海外に行きたい人が飛びつく。そういう形で、航空券の実勢価格は下がり、消費者も値下げの恩恵を受けることができました。

 今と違って、航空会社から旅行会社へは、航空券をたくさん売ると、あとでお金が返ってくるコミッションの制度がありました(現在はほとんどの会社で廃止されています)。旅行会社は、条件のいい航空会社のチケットをたくさん売ることを通じ、目先の利益に加え、あとで還元される分で更に儲かる、という仕組みを狙い、営業していました。

 そうやって「格安航空券」という名の、本来存在しないはずのチケットを大量販売し、急成長した旅行会社がいくつもあり、あの会社とかこの会社とか、業界にいない方もご存知の有名どころも、そのひとつですが、個別の名前を挙げるのはやめておきます。ただ、業界大手HISの前身である「株式会社インターナショナルツアーズ」が設立されたのが1980年、というところから、当時の雰囲気を想像していただければと思います。

 

 航空会社は、旅行会社の販売力に頼り、IT運賃を大量に捌いて座席を埋めてもらう。一方の旅行会社は、航空会社からの報奨金を頼りに、更に多くの航空券を販売することで成長していく。このような関係が確立しました。この初期の段階では、航空会社は、旅行会社へ還元する金額や率を調整することで、やや旅行会社よりも優位に立っていましたが、後、次第に旅行会社の発言力が強くなっていきます。それはまたあとの時代の話なので、改めます。

 

 

 余談ですが、この当時の航空券流通であれば、OFCの「国際航空運賃セミナー」は、まず存在しませんでした。航空会社が直接販売する普通運賃や特別運賃の規則は種類も少なくて扱いやすい。他方、IT運賃は規則がそこまで複雑ではない(単純往復も多いですし)。ということで、運賃規則を深く学ぶ必要がなかったからです。

 聞くところでは、手書きで券面の規則を無理に変えてしまうような荒業もあったとかなかったとか。今はコンピューターでしっかり管理されているので、想像できない話です。

 OFCのセミナーが必要になったのは、IT運賃全盛の時代が終わり、航空会社が特別運賃の値段を大幅に下げたため。複雑な規則がついて回るようになり、それまでは勉強しなくてもなんとかなっていたものが、ちょっと厳しいな、と感じられるようになったところからです。

 

 

 以上、今回は航空券販売の主導権が航空会社から旅行会社に渡りつつある時代の背景について取り上げました。やがて、航空会社が主役に戻っていきますが、今後のテーマとして、どうぞお楽しみに。

 

この記事を書いた人:

関本(編集長)

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