【第26号】1. 日本発運賃の歴史と変遷(その18)ゾーン運賃の登場

 1992年にゾーン運賃が登場し、OFCタリフシリーズでは同年10月版から、航空会社ごとのゾーン運賃を掲載し始めました。最初はどんな様子だったのか、見ていきましょう。

 

前回までの記事はこちら

 

 

そもそもゾーン運賃とは?

 前号の終わりに、ゾーン運賃について簡単に説明を書きました。「IATA運賃をベースに、一定の範囲(=ゾーン)内で割り引いて運賃設定していい」という定義なのですが、ではゾーンがどういう風に決まっていたのか、というのを1992年7月版タリフから引用します(この時点ではゾーン運賃はまとまっていませんでした。次号への予告という形で巻頭に説明が載っています)。

 

ゾーン上限/下限

上限:新エコノミークラス運賃額

下限:IATA運賃の適用期間毎に、新エコノミークラス運賃からのパーセンテージで表示され、それを乗じた額を千円単位に切り上げた額

(簡単な目安としては、IATA GIT額に対し、PEAK:-10%、SHOULDER:-10%、BASIC:-15%で算出される)

 

 言っていることがよくわからない、という方もいらっしゃるかもしれません。ちゃんと図にしてイメージが示されています。

 

 

 エコノミークラスの一番高い運賃が485,000円だったとしてください。そして、各社共通で乗れる(大抵は)IATA PEX、または団体用のGIT運賃が一番高い時期で386,000円(上の画像で言うと10月1日から16日までのところ)。

 この間、ゾーン運賃として販売していいのは、上限は485,000円に固定される一方、下限は386,000円×0.9=347,400円を千円単位に切り上げて348,000円。この137,000円の幅が、要するに「ゾーン」なわけです。

 ベーシックと言われる需要が少ない期間は、GITが222,000円です。15%引いていいので、222,000円×0.85=188,700円。例によって千円単位にしなければいけないので189,000円が下限。どうでしょう、IATA運賃の定価(この例では485,000円)で乗るのが当たり前だった時代に比べると、だいぶお手頃になってきました。

 

 

1993年にゾーン運賃を設定していた航空会社

 まずは1992年10月版から、ゾーン運賃のページ表紙をご覧ください。

 

 

 IATAの航空会社コードでアルファベット順に並んでいますので、今も昔も先頭はアメリカン航空。その下にヨーロッパの今も続く大手航空会社が見えますが、「CO:コンチネンタル航空」「CP:カナディアン エアラインズ インターナショナル リミテッド」あたり、若い方はご存知ないんじゃないでしょうか。ほかにも、懐かしい名前がいくつか。

 2001年に起きたアメリカ同時多発テロの影響で、日本に乗り入れていた有名航空会社も倒産や他社との経営統合など、その名前が消えるような事態に追い込まれました。新型コロナウイルスで海外渡航者が世界中で激減した2020・21年。あとで振り返ると、2000年代初頭と同じように「そう言えば、あんな会社もあったな」となるのかもしれません。

 

 

ゾーン運賃の例(1992年の場合)

 前回、ANAのグアム行き運賃をご紹介しましたが、今回も引き続き同社のゾーン運賃のページを写してきました。

 

 

 文字が細かいので、見にくいところはすみません。

 ハワイ、アメリカ本土とカナダ行きのゾーン運賃がまとまっているページです。

 ゾーン運賃は繁忙期には設定されておらず、たとえば西海岸行きならショルダーが10月と3月、ベーシックが11月と2月でした。東京発の運賃額はそれぞれ202,000円と169,000円。

 この年の大卒国家公務員Ⅰ種の初任給は175,300円でした。この時代になって、個人旅行で航空会社から正規運賃を購入して、給料1か月分でアメリカを往復できるようになった、ということです。もちろん、IT運賃のばら売りなど安価なものの流通はあったはずですが、旅行会社に任せて大量に捌く市場から、航空会社が決定した運賃をそのまま売って、少し前ならIATA運賃に合わせて遥かに高額だったのが、日本人の個人旅行者も気軽に(?)利用可能になったことの意味は大きいと考えます。

 

 これでもまだ航空会社直販の運賃はだいぶ高くて、しばらくするとどんどん下限が下がっていき、やがてIT運賃が本当の意味での団体向けにしか生き残らなくなる時代が来るわけですが、それはまた別の話。

 

 

この記事を書いた人:

関本(編集長)

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