【第33号】1. 日本発運賃の歴史と変遷(その25)90年代のJAL運賃表

 前回は認可制と届出制の違いについて触れましたが、その前はJALの国際線拡大の話をしていました。

 今回は、そこに戻って、1990年代の日本航空の運賃表を見ながら、運賃の変遷を辿っていきたいと思います。

 

前回までの記事はこちら

 

 

1992年の運賃表

 OFCタリフシリーズを遡ると、90年代に入ったくらいはまだIATA運賃(とIT運賃)の時代で、航空会社ごとの運賃表というのは存在しませんでした。

 少し下って1992年10月版に、こんなページを発見。

 

 JALの個人向け割引運賃です。GIは「TS」と書いてありますから、シベリア上空を回るルート。もはやアンカレッジの時代ではありません(と言っていたら、このところのウクライナ情勢の煽りで、シベリア経由ではなく、北回りだ南回りだと各社大慌て。「所要時間が伸びていく」時代が来ようとは、想像もしていませんでした)。

 

 選択肢は少なく、シーズナリティも「ショルダー」と「ローショルダー」のふたつだけというシンプルな感じ。

 第23回で触れた通り、1991年に成田からフランクフルト=ベルリン線を開設したため、目的地に記載がありますね。もちろん、この表の全ての都市に就航していたわけではなく、どういうルートになるのか乗り継ぎも多かったんでしょうが、最近の運賃設定とは違って、みんな一律というのが時代を感じさせます。

 

 ところで、このタリフが世に出た92年にはミュンヘン線が飛び始めているのに、なぜ書かれていないのかと言うと、調べた限り、10月25日就航で、発行に惜しくも間に合わなかったようです。

 

 

 

1994年の運賃表

 続いて、1994年4月版を見てみましょう。

 

「JAL悟空」という運賃名称が出てきましたね。懐かしい。

 シーズナリティは細分化されましたが、全体的にキャリア特別運賃のイメージからは、まだ少し高めでしょうか。

 

 驚くのは、直行便が就航している都市と、そこから乗り継いで行く地方都市で、運賃額に差がないこと。各国幅広く抑えてますね。

 個人的には、シチリアのカターニアとかパレルモがロンドンと同じ運賃なのに、ダブリンだけちょっと高めなのが不思議。この運賃を使うと、どういう経路になったんでしょうか(ローマからのAZ国内線がわりと安くて、組み込めたのかな、という予想です)。

 今みたいにアライアンスで得意不得意が出てくることもなく、ヨーロッパの主要航空会社と契約があったのだろうということが窺われます。

 

 自分がこの運賃を使うとしたら、カサブランカがお得だな、という印象です。モロッコ行ってみたい。

 

 

 

1995年の運賃表

 もう少し下っていきましょう。翌1995年です。

 

 目的地の都市のグループ分けが、明らかに変わりましたね。カサブランカのお得度が下がって、スペインの地方都市と同額だったのが、ちょっと高くなりました。乗り継ぎ先の航空会社との契約の都合とか、いろいろあったのでしょう。

 この頃のタリフを見てみると、都市の設定や細かい規則が毎年のように変わっています。もちろん今も変更はよくある話ですが、運賃自体がそれほど頻繁に入れ替わらないわりには、という感じも。期中での変更の発想がなく、やるなら毎年4月の年度初に、ということなのかもしれません。

 

 全体的に、運賃額は94年の状況からそれほど変わっておらず、やや高めでしょうか。

 上から、運賃額の高い順に並んでいるわけではないのか、どういう意味があるのか。自社の商品でも、ここまで古いといろいろ解明できない謎があるものです。

 

 

 

1999年の運賃表

 では、最後に90年代の終わりへ。

 

 個人的な話で恐縮ですが、ぼくが初めて海外に行ったのは1999年12月のこと。成田から、BAをロンドンで乗り継いで、ベルリンまで飛びました。BAにしたのは6か月OPENのチケットが一番安かったからで、たしか15万円くらいだったはず。

 このJALの運賃表は上期のものですから、ヨーロッパの需要が少なくなる冬場はもうちょっと安いんだとして、まだ少し高めの設定ではあります。一番安い「ベーシックⅠ」の時期じゃないと、20万円切る値段で乗れません。

 

 カサブランカは順調に値上がりしてます。また、ロンドンなどの基本都市と同じ運賃設定だったカターニア、パレルモといった南欧の都市は、1段階高いところに引っ越しました。こうなると、北欧が俄然お得に。スタヴァンゲル(運賃表では「スタバンガー」)とか、今はどこの航空会社でも追加料金じゃないですか?

 

 参考として、直行便が飛んでいる区間が記載されていますが、この充実ぶりは時代ですね。2000年代初頭まで、「こんなにいろいろ飛んでるんだ!」とびっくりするほどたくさんB747(一部、DC-10かな)が活躍していた記憶があります。

 なお、大阪からのロンドンとパリ線は1994年、フランクフルト線とミラノ=ローマ線は96年、更に名古屋からのロンドン線が98年に新規開設され、とにかく拡大傾向にあった時期です。

 

 そんなに供給座席数が多いのに、運賃はやや高めで、これでは座席が埋まらないのでしょう。事前購入型割引運賃が登場しています。

 平日の基本都市行きは、いよいよ10万円を切ってきました(ただ、これでも欧州系キャリアより高かったはず)。今とそんなに変わらない雰囲気の設定です。ベーシックがもうちょっと安めだったら乗りやすかったのに、というのは一旅行者としての感想。

 

 同じシーズナリティで21日前までに買えば、満席になっていない限りみんな同じ運賃、というのが、キャリア運賃初期の名残を感じる部分。今はRBDでもっと細かく分けて、同じ出発日でも運賃はどんどん変わっていきますからね。

 

 

 というわけで、JALの運賃を見てみました。この頃、国際線を少しずつ伸ばそうと頑張っていたANAはどういう運賃体系だったのか。気になりますね。次回はそんなところを見ていきましょうか。

  

 それではまた。

 

この記事を書いた人:

関本(編集長)

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